退職前後の15年で、積立投資は何が変わるのか
退職が近づくと、投資で問うべきことは「いくら増えるか」だけでは足りなくなります。大事なのは、相場が悪い年にも生活費を出しながら、資産を長持ちさせられるかです。積立から取り崩しへ移ると、リスクは消えるのではありません。何が危ないか、その意味が変わります。
ブラックロックで退職ソリューションとライフパスを率いるニック・ネフースは、この切り替わりを「退職前後の転換期」と位置づけています。本人が公式番組「The Bid」で挙げた目安は55歳から70歳です。この15年は、退職する時期も、働き続けられるかも、人によって大きく開くといいます。
ここで取り上げたいのは、米国の商品を日本に持ち込む話ではありません。ネフースの説明には、資産残高を眺めるだけでは見落とす「収入に変える設計」という論点があります。NISAで投資信託を積み立ててきた人にも、退職をまだ遠い話だと思う人にも、これは早めに知っておく価値があります。
残高が同じでも、使い方で安心感は変わる
積立期は、かなり多くの人に共通の答えがあります。長い時間を使い、毎月入金し、成長が期待できる資産を持つ。下落しても次の積立が安く買えるので、時間と入金が回復を助けます。
ところが、給料が主な収入でなくなった日から、口座は生活費の引き出し元にもなります。退職後に25年、30年を過ごす人がいる、とネフースは話します。投資を続ける期間は意外に長い一方、毎月の支出は待ってくれません。この二つを同時に満たすのが難しいところです。
米国で問題意識が強い背景には、会社が運用と給付を主に担う確定給付年金から、本人が積み立て、運用し、取り崩し方も決める401(k)へ重心が移った事情があります。以前なら会社側が引き受けた判断を、個人が引き受ける場面が増えたわけです。
ただし、日本の公的年金、企業年金、NISAは、米国の401(k)やターゲット・デート・ファンドとは制度も税制も違います。401(k)向けの仕組みや商品を、そのまま日本の答えにしてはいけません。それでも「公的年金などの定期収入で足りない月額を、どの資産から補うのか」を先に考える発想は、制度をまたいで使えます。
退職直後の下落は、平均利回りでは片づかない
積立期と取り崩し期を分ける最大の理由は、相場下落と売却の順番です。退職直後に株価が大きく下がったとします。それでも生活費が必要なら、安くなった資産を売ることになります。そこで減った口数は、相場が戻っても元に戻りません。後年に同じ下落が来る場合より、資産の持ちを悪くしやすいのです。
これは、いわゆる相場順序のリスクです。長期の平均利回りが同じでも、下落がいつ起き、いつ売却したかで、手元に残る額は変わります。退職前後に値動きの大きい資産を一律にゼロへ近づけるべきだ、という意味ではありません。30年近い生活を考えるなら、物価に負けないための成長資産も要ります。
問題は、近いうちに使うお金まで、下落時に売るしかない形で置いてしまうことです。筆者がいちばん大事だと思うのは、株式の比率という一つの数字より、「いつ使う支出なのか」を分けて眺めることです。年金でまかなえる分、数年内に必要な分、もっと先の生活費や相続も含めて長く運用する分は、同じ役割ではありません。
ネフースの2026年の白書も、退職前と直後は不確実性が高い時期だと位置づけます。市場、物価、長寿、そして下落時に売って回復を逃す行動。この四つのリスクは、人生のどの段階でも同じ重さではない、としています。若い人なら賃金上昇と長い運用期間が物価高を吸収しやすい一方、退職が近づけば購買力の維持が切実になる。この整理は、単に「年齢が上がれば安全資産」と言うより、ずっと実用的です。
「増やす」「守る」「使う」を一つの線で考える
白書は運用期間を「増やす」「守る」「使う」の三段階で整理しています。若い時期は成長を狙い、退職が近づけば結果のぶれを抑え、退職後は支出の安定を目指す。三つを別々の商品選びにせず、一つの生涯設計としてつなぐ考え方です。
面白いのは、「守る」が「何も減らない」という約束ではない点です。白書は、物価連動資産や債券の分散を使って、物価や金利の変化に備える設計を論じています。むしろ、インフレ対策には期待収益を下げるコストがあり得る、とも書いています。守りを増やせば必ず得になるわけではない。この正直さは重要です。
同白書の「改善する確率63%」という数字にも、読み方があります。カナダのライフパスという制度商品について、同社のシミュレーションで配分変更が従来設計より良い退職結果になった頻度です。個人の利回りや収入を63%保証する数字ではありません。ここを飛ばして「ブラックロックが答えを見つけた」と読むのは危ういでしょう。
筆者は、三つの言葉のうち「使う」を最後の付け足しにしないことに賛成です。口座残高を最大にすることと、毎年の暮らしを急に縮めずに済むことは、似ていても同じではありません。後者を目標に置くと、資産配分、現金の置き方、年金の受け取り方を一緒に点検する理由が見えてきます。
「保証付き収入」は便利な言葉ほど条件を読む
公式番組でネフースは、米国の401(k)の中に私募資産や保証付き収入を組み入れ、積立から支出へ橋をかける考えにも触れています。ここは、ブラックロックの商売と切り離せません。同社は資産運用会社であり、こうした仕組みを含む退職商品の提供・運用から利益を得る立場です。話に耳を傾けるほど、販売上の利害も同時に見るべきです。
「保証」と聞いて確認したいのは四つです。第一に、誰が何を保証するのか。運用会社なのか保険会社なのか、元本なのか将来の収入額なのかで意味は変わります。第二に、費用はいくらか。第三に、途中で現金化できるのか、できてもどんな条件や価格なのか。第四に、物価が上がった時に、その収入の買える量をどう考えるのかです。
私募資産も同じです。値動きが毎日見えにくいことと、リスクが小さいことは別です。換金までの時間や、売却できる窓、手数料を確認しなければ、生活費の置き場に向くか判断できません。確定利回り、いつでも換金、元本保証という三つを、説明を聞いただけで想定するのは禁物です。商品説明書や契約にある具体的な条件を確認する必要があります。
株譜の見方
退職前後にするべきなのは、まず「何%を株にするか」を当てにいくことではありません。公的年金、企業年金、家賃収入など、毎月ほぼ入るお金を書き出します。次に、生活費との差額、急な医療・介護や住み替えで必要になりうるお金、いつまで働く見込みかを置きます。そのうえで、相場が下がっても売らずに済ませたい期間のお金と、長く運用するお金を分けて考えます。
この順番なら、下落した日に「老後資金が減った」と慌てて全部を売る判断を避けやすくなります。働く収入をいつまで見込むか、年金をいつから受けるか、家計の固定費をどこまで下げられるかも、株価と同じくらい効きます。個別の配分や保証商品の適否は、家計と制度を見た上で、必要なら有資格の専門家にも確認すべきでしょう。
積立期は残高を増やす競争に見えます。けれど、取り崩し期の成功は、残高の最大値では測れません。下落、長寿、物価高が重なっても、暮らしを続ける収入をどう作るか。株譜が見るべきなのは、その設計が数字と契約条件で本当に支えられているかです。
出典
- ニック・ネフースほか「Optimizing retirement outcomes: The next evolution of lifecycle portfolio design」、BlackRock、2026年、p.2-4。Grow/Protect/Spend、四つのリスク、退職前後の不確実性、カナダLifePath向けのシミュレーション結果を確認。
- オスカー・プリド、ニック・ネフース(Nick Nefouse)「The Top Retirement Trends That Are Reshaping Investing, Income and Longevity」、BlackRock The Bid公式トランスクリプト、2026年5月8日、5:10-6:43、14:38-15:24。55歳から70歳のretirement window、米国401(k)での支出段階への接続と保証付き収入への言及を確認。
本記事は金融実務家の公開資料・発言を紹介し、筆者の見方を添えたものです。特定の銘柄、金融商品、資産の売買を勧めるものではありません。