株譜
INVESTOR OUTLOOK

ジェレミー・グランサム:当たりの前には、いつも外れに見える数年があった──二度の大損が教えた「待つ代金」の払い方

失敗と成功

ジェレミー・グランサムといえば、バブルを言い当てた人として語られます。日本株、IT バブル、米国の住宅。ところが本人の回想を読むと、当たりを自慢する話はほとんど出てきません。出てくるのは、顧客に解雇された話、紙の上の大金を失った話、母に損をさせた話です。

別稿「ジェレミー・グランサム:米国株は持たない」では、いまの市場への見方と個人への助言をまとめました。「米国株は10年後に報われるか」では、シーゲルとの見方の違いを並べています。本稿はそれらと重ならない話で、グランサム本人がどこで外し、どこで当て、そこから何を規則にしたのかを時間順に追います。

読み終えて残った感想を先に書きます。グランサムの当たりは、どれも「外れに見える数年」の代金を先に払ったあとに来ています。そして彼の失敗の多くは、考えの誤りではなく時期の誤りでした。若い頃の大損は考えの誤りから、のちの痛みは時期の誤りから来ており、前者は財務の確認という習慣を、後者は「恐怖の中でも買う」ための規則を生みました。

素材は、2021年から2026年にかけて公開された本人の対談動画です。金額や年は本人の回想で、一つずつ原文と照らしたものではありません。母への譲渡の細部やスターリング・モスの名前なども、本人の記憶に基づく話として読んでください。

母に譲った株が、直後に紙くずになった

最初の失敗は、十代のころの個別株です。グランサムは16歳で投資に関心を持ち、ハーバード・ビジネススクール時代にかけて、英国のアクロ・エンジニアリングという会社の株を買いました。特許を持つ足場の技術で業績を伸ばしていた会社で、製品も売れ行きも申し分なく見えたそうです。

1株16で買った株が24まで上がったところで、彼は米国へ渡ることになりました。売買の手数料を浮かせたくて、同じ株を少し持っていた母に、手数料なしで譲っています。自分は利益を得て、投資額も増やしました。

その直後に、会社が倒産します。製品が売れなくなったのではありません。拡大しすぎて、借金を抱えすぎたのです。母の持ち分は全額が無価値になりました。

ここは、読んでいて胸が痛くなる場面でした。損をしたのが他人ではなく母で、しかも手数料を惜しんだ結果だという点が、後悔の重さを想像させます。本人はこれを、会社の財務の健全さを徹底的に調べる習慣の原点だと語っています。どれほど良い製品でも、過剰な借金と拡大は会社をあっさり倒す。バリュー投資家としての出発点に、このような傷があったことは覚えておきたいところです。

3倍になった紙の富と、1968年のクリスマス

次の失敗は、バリュー投資家を自称する人が、投機の熱に巻き込まれた話です。

ハーバード卒業後、18か月のコンサルティングを経て、ボストンのキーストーン・ファンド(運用資産16億ドル)に入った直後のことでした。若手投資家のランチの会で、アメリカン・レースウェイズという銘柄の話を耳にします。元世界王者のスターリング・モスが取締役に名を連ね、米国にF1のレースを持ち込む計画でした。「パワーと爆音は極めてアメリカ的で、成功間違いなし」と彼は判断しました。

1株7ドルで300株、2,100ドルを買っています。3週間の欧州休暇から戻ると、株価は21ドル。3倍です。ここから彼の行動が変わります。ほかの保有株をすべて売り、住宅改善の名目で銀行から借りたお金も注ぎ込み、1株21ドルで900株まで買い増しました。

1968年のクリスマスには、株価は100ドルまで跳ね上がります。ローンを完済し、英国に担保なしで家やBMWを買えるほどの、紙の上の富でした。ところが1969年に入ると需要が失速し、株価は暴落。命からがら売り逃げたものの、利益の大半を失い、銀行借入金を返したあとの手元資金はほぼ底をついたといいます。

この話でいちばん刺さったのは、教訓の言い方です。「投機で一度成功すると、脳が壊れる」。そして、「自分だけは早く逃げられる」と思っていても、崩れる速さには追いつけない。のちに「バブルは必ず崩れる」と説く人が、若い日にバブルの甘さを身体で味わっていたことになります。後年の冷静な語り口が、少し違って聞こえてきます。

20年早かったアイデア、マーケット・モニター

レースウェイズから逃げ出した直後の1969〜70年にも、似た失敗を重ねています。今度は投機ではなく、筋の通った構想でした。

各ブローカーの机に小さな専用画面を置き、個別株のオプションの価格をリアルタイムで見せ、取引もできるようにする。マーケット・モニターという会社です。いま聞けば、のちの電子取引やブルームバーグの端末の原型のような発想です。彼は合理的で将来性のある案だと判断して株を買いました。

しかし当時は、オプション取引の土台となる仕組みも、取引する人もいませんでした。「モニターがなければ誰も取引せず、取引がなければ誰もモニターを買わない」という堂々巡りです。株価は暴落し、手元資金は尽き、マンハッタンの狭い部屋で、妻に料理や節約を頼んで暮らすことになりました。

本人は二つの失敗をまとめて、「早すぎるアイデアは間違っているのと同じ」と話しています。時代を20〜30年先取りした技術は、仕組みが整うまで利益にならない。正しい方向を向いていても、時期がずれれば結果は間違いと変わらない、という認識です。この一言は、のちの彼自身の警告の歴史にそのまま重なります。筆者はここに、グランサムの一生の主題の種があったと感じます。

ロックフェラーの前で頭が真っ白になった日

1969年、グランサムはデーン・ルバロンらとバテリーマーチを創業します。順調な船出ではありませんでした。1972〜74年にかけて、大型の人気株が熱狂的に買われたニフティ50のバブルが崩れ、石油ショックが重なります。手作業で掘り出した小型の割安株は、50%も下がりました。

初年度の運用資産は、予想の10億ドルに対して実際は10万ドル。5年目でも4,600万ドルにとどまります。唯一の大口顧客だったロックフェラー・ファミリー・ファンドからは、解雇される寸前でした。

委員会の最前列に座っていたローレンス・ロックフェラーに、「言葉は多いが、何を言いたいのか」と切り捨てられます。グランサムは頭が真っ白になったそうです。ところが土壇場で踏みとどまり、説明を一からやり直しました。小型の割安株が普通の水準に戻るだけで、50〜100%のリターンが得られる(控えめに言っても50%)。一生に一度の好機だと、情熱とデータを総動員して、単純な言葉で言い直したのです。

結果は、解雇を免れました。1975年1月に小型株が17%急騰し、その後の数年は大きく伸びます。ロックフェラー側からは、本人の言い方で「謝罪にもっとも近い褒め言葉」をもらったそうです。バテリーマーチでの8年間は、6勝1敗1分、年平均で6ポイントの上回りでした。

筆者は、この話のおもしろさは勝ち方そのものより、勝つ直前の描写にあると思います。理屈は合っていたのに、伝わらなければ解雇される。のちの「顧客の忍耐力」という言葉の実感は、ここで身についたのでしょう。難しい分析を、相手の目を見て一文で言い直せるかどうか。これは個人投資家が、自分の判断を家族や自分自身に説明する時にも効く教訓です。

小さく運用し、9年続けて勝つ

1977年、バテリーマーチでの利益の配分や名声をめぐる対立から、グランサムは退社します。ディック・メイヨ、アイク・ヴァンルーらとGMO(グランサム・メイヨ・ヴァン・オッテルロー)を立ち上げました。

ここで彼らが決めた規則が、運用資産の上限です。2.5億ドル。大きくなりすぎると、小型株では勝てなくなるからです。配当を基にした理論価格の計算と、アナリストの手作業の調査で、ウォール街がほとんど追っていない割安な小型株に集中しました。具体的には、ツイン・ディスク・クラッチやグレート・レイクス・ドック&ドレッジといった、名前を聞いてもすぐには事業が浮かばない会社です。

創業から最初の9年間は、毎年市場の指数を上回りました。上回り幅は年平均で8ポイント。この調子で複利が働くと、顧客の資産は相対で2倍、絶対額では4倍に増えたそうです。

誰も見ていない場所に絞れば、勝ち目が生まれる。本人の言葉では「不当な優位性」です。派手さはありませんが、筆者はここがGMOの原点だと思います。のちの「バブルから降りる」判断が、なぜ顧客の信頼を保てたのか。最初の9年で積み上げた実績が、その担保になっていたはずだからです。

日本株を45%からゼロにして、3年間負け続けた

最大の見せ場は1980年代の日本です。日本株の PER(株価が利益の何年分かを示す倍率)は、それまでの上限だった25倍を突き破り、65倍まで上がりました。世界の株式の指数(MSCI)に占める日本の割合は、45〜60%に達していました。一つの国が、世界の半分近くを占めていたのです。

グランサムは、歴史的な平均から大きく外れた極端なバブルだと見て、顧客のお金を置き続けることは受託者責任に反すると判断します。国際株式のファンドでの日本株の比率を、45%から完全にゼロへ引き下げました。

ところが、日本株はそこからさらに上がります。GMOは3年間、毎年10ポイントずつ指数を下回りました。3年で合わせて30ポイントの悪化です。顧客からの批判も、相当なものだったはずです。

1989年末にバブルが崩れます。日本株はそのあと20〜30年以上低迷し、最高値を取り戻すまでに35年かかりました。往復で見れば、GMOの大勝利です。

筆者がここで足を止めたのは、「3年間」という数字です。3年といえば、運用の世界では十分に人が辞め、顧客が離れる長さです。それでも彼は、「価値は重力に当たる」という物差しを手放しませんでした。当たった結果より、3年間負けながら手放さなかった事実のほうに、重みがあります。

IT バブルの「早すぎた2年4か月」

同じ型の勝負が、10年後にもう一度来ます。1997年末、米国株の PER は21倍と、1929年と並ぶ水準に達しました。GMOはここから米国株の組み入れを段階的に減らします。1999年には人気の成長株を売り、配当利回りが9.1%で資産価値より安く買えた不動産投資信託(REIT)、小型の割安株、新興国株へと配分を移しました。10年先の予想リターンは、新興国株が年+12%、米国株がマイナス2%という見立てでした。

しかし熱狂は終わりません。PER は35倍まで上がり、バブルが膨らんだ2年4か月のあいだに、GMOの運用資産は300億ドルから200億ドルへ、約3分の1減りました。顧客の半分以上が去っていったといいます。

2000年3月、ナスダックが崩れ始めます。82%の下落でした。アマゾンは92%下がります。GMOのポートフォリオは崩壊の3年間でプラスを保ち、REITは30〜35%上がりました。市場全体を表す指数は約50%の下落です。運用資産は、2002〜06年の4年間で220億ドルから1,650億ドルへ、7.5倍に増えました。

本人は、「自分たちが間違っていたのは2年4か月だけだった」と振り返っています。この言い方には思わず笑ってしまいましたが、同時に、いちばん正直な表現だとも思いました。方向は合っていた。ただ、顧客が待てる時間のほうが、バブルが続く時間より短かった。それだけのことが、運用資産の3分の1と顧客の半分を奪ったのです。

そしてもう一つ。2000年の時点で、グランサムは「今後10年の米国株は年率マイナス2%」と見ていました。実際の2000〜2010年は、年率マイナス3%でした。1ポイントの差で、10年単位の見立ては当たったことになります。足元の2年4か月は外し、10年は当てる。これが彼の見通しの性格を、そのまま表しています。

2008年7月の「船を捨てろ」と、2009年3月の1ページ

住宅バブルの局面では、時期のずれがかなり小さくなりました。2008年7月15日の四半期レターの題は「船を捨てろ」。副題は「勇敢になるな、逃げろ」といった趣旨です。推奨していた新興国株も含め、リスクのある資産の全売却を、緊急に勧める内容でした。その後4か月で、新興国株の指数は50%下がっています。

注目したいのは、むしろその次です。2009年3月5日、米国株の指数(S&P500)は666の大底に達しました。誰もが恐怖で動けなくなっていた日に、彼は「恐怖の中で再投資する」という1ページの手紙を出し、買い戻しを指示します。その後の株価は10倍近くに上がりました(S&P500は6,000を超えています)。

本人が何度も言うのは、暴落後の底では、人は麻痺するという点です。何もできなくなる。だから、あらかじめ機械的に買い戻す規則や計画を作っておく必要がある。正確な底値を当てる必要はなく、十分に割安になったら、勇気を持って戻す計画を、感情に支配される前に紙に書いておく、ということです。

筆者は、グランサムを「万年弱気」と呼ぶのは、この手紙を知らない人の言い方だと思います。弱気のレターは目立ちますが、買い戻しの手紙のほうが彼の仕事の核心です。売る規則と買う規則がセットになって、はじめて判断が完成する。個人投資家でも真似できるのは、実はこちらでしょう。

5億ドルの紙の富が、鍵のかかった箱に入っていた

最後は、本人にとって最近の失敗です。自分の資産と環境財団のお金で、初期のベンチャー投資をしていた全固体電池の会社、クオンタムスケープ。1株2.5ドルで買い、会社の5%を持っていました。売上も利益もない研究段階の会社です。

2020年末、特別買収目的会社(SPAC)という仕組みを使って、10ドルで上場しました。それから約3か月で、株価は131ドルへ。時価総額は550億ドルに達し、GMやパナソニックを上回りました。本人の持ち分は、約6億2,500万ドルの評価額になります。紙の上では、5億ドル分の含み益でした。

ところが、売却制限(ロックアップ)で、1株も売れませんでした。制限が解けるころには25ドルに急落し、その後はさらに下がったといいます。含み益の大半が、手の届かない場所で消えたことになります。本人は、これを人生で最大の「理論上の富の消失」と振り返っています。

細かい経緯は、動画ごとに数字の整理が食い違う部分があり、原文での確認が要ります。ただ、筋は一貫しています。売上ゼロでもGMより高い値がつく状態を、当事者として体験した。「今回は決して違わない」と、あらためて思い知った。2021年末のバブル絶頂の前に、レターで警告を出す気持ちを後押しした出来事でもあったそうです。

筆者はここに、皮肉な構図を見ます。バブルを説く人が、バブルの当事者になった。しかも、売れない形で。1968年の「脳が壊れる」感覚を、50年以上たってもう一度、より大きな金額で味わっているのです。

当たったのか、外れたのか:答え合わせ

最近の予想も、本人の言葉で採点してみます。

2021年末、グランサムは四半期レターに「狂乱のパーティーを始めよう」という題をつけ、公表は2022年1月でした。キャリアでは珍しく、時期にはっきり触れて暴落を警告したものです。2022年はS&P500が25%下がり、マグ7(巨大IT企業の7社)は40%、成長株は35%下がり、債券は近代史上最悪の下げになりました。

ところが2022年11月にChatGPTが現れ、AIへの設備投資と投機熱が、崩れかけたバブルを途中で押し戻しました。本人はこれを、バブル崩壊の過程が歴史上初めて新技術に割り込まれた、と説明しています。AIの投資がなければ、経済は穏やかな景気後退に入り、S&P500は25%ではなく40%以上下がって、崩壊をやり遂げていたはずだ、というのが本人の言い分です。

採点は半々です。その後に米国株が25%上がったのですから、短期の見通しは外れた、と本人も認めています。一方で、同時に予想していた「米国以外の株と新興国株の強い巻き返し」は当たりました。65〜70%の上昇です。

もう一つ、本人が認めている変化があります。20世紀の100年間は、割安な株を持つだけで、年に約4ポイントの「割安プレミアム」が得られました。ところが2000年以降は、その単純な平均回帰が働かなくなったといいます。そこでGMOのモデルは、割安さだけでなく、収益力の高さや勢いと組み合わせる方向へ進みました。ただし、これが本人の言葉なのか、動画の整理なのかは確かめられていません。

筆者は、「前言を撤回した」と本人が語る場面は少ないと感じました。多いのは、「時期は早すぎたが、方向は正しかった」という自己評価です。それを都合のよい言い訳と読むか、一貫性と読むかは、人によって分かれるでしょう。筆者は、次の株譜の見方で述べる理由から、完全な言い訳とは思いません。

株譜の見方

ここからは筆者の見方です。

グランサムの履歴を並べると、損の種類が三つに分かれます。母の株とクオンタムスケープのような、財務や仕組みを見誤った損。レースウェイズのような、熱に巻き込まれた損。そしてマーケット・モニター、日本株、IT バブルのような、方向は合っていたのに早すぎた損です。

おもしろいのは、教訓がそれぞれ別の規則になっていることです。財務を見る習慣、熱に近づかない用心、そして顧客の忍耐を計算に入れる姿勢。さらに2009年の手紙が、売りと買いを対にしました。彼の強さは予想の的中率ではなく、外れに見える期間の痛みを、規則で耐える設計にあります。

その代わり、代金は軽くありません。日本株の3年、IT バブルの2年4か月。顧客が半分去るほどの時間です。個人が彼の見方を使うなら、同じ代金を払える形にしておく必要があります。借金で張らない、生活費に手をつけない、数年は含み損でも売らなくて済む範囲にとどめる。待つ代金を払えない人が、早い警告だけを真似するのが、いちばん危ない使い方でしょう。

答え合わせの材料は三つです。一つは、米国株が下がった時に、彼が買い戻しの合図を出すかどうか。2009年のように、恐怖の中での再投資を言うなら、それは売りの警告と対になります。二つめは、10年先の見立てが、過去のように近い数字に収まるかどうか。三つめは、AIの設備投資がバブルを延ばしているのか、収益になっているのか。この三つを見れば、今回の「早すぎ」が、また2年4か月で終わるのか、もっと長い待ち時間になるのかが見えてくるはずです。


出典(動画は公開日。数字や年は本人の回想で、原文との照合が済んでいないものを含みます)

  • Capital Allocators with Ted Seides「Bubbles, Value Investing, and the Long Game at GMO | Jeremy Grantham - EP. 493」、2026年3月23日(アクロ、GMO設立、2008〜09年の手紙。YouTube)
  • Library of Mistakes「Jeremy Grantham with Edward Chancellor」、2026年4月17日(レースウェイズ、バテリーマーチとロックフェラー委員会。YouTube)
  • MoneyWeek「Jeremy Grantham | How to invest like a stock market legend | MoneyWeek Talks」、2026年6月24日(マーケット・モニター。YouTube)
  • The Meb Faber Show「Jeremy Grantham, GMO – Short-Term Pessimist, Long-Term Optimist」、2022年3月9日(日本株、今回は決して違わない。YouTube)
  • Investor Center「Jeremy Grantham - The Wall Street Experts are Lying to You About the Stock Market」、2026年5月18日(ITバブル。YouTube)
  • Excess Returns「He Tracked Every Major Bubble for 50 Years | Jeremy Grantham on What AI Can't Change」、2026年5月16日(クオンタムスケープ。YouTube)
  • The Meb Faber Show「Jeremy Grantham, GMO - What Day Is The Highest Level Of Optimism? It's The Day The Market...」、2021年2月8日(クオンタムスケープの上昇局面。YouTube)
  • LifeWorthLiving「MOST People Don't Know About This... - Jeremy Grantham」、2026年8月22日(2022年のレターとChatGPT。ファン系チャンネルのため、本人の発言との照合が要ります。YouTube)
  • Behind the Balance Sheet「Jeremy Grantham on why this market will fall by 50% but nobody will warn you」、2026年5月25日(割安プレミアムの変化。YouTube)

本記事は著名投資家の公開発言を紹介し、株譜の見方を添えたものです。投資の推奨ではありません。特定の銘柄や資産の売買を勧めるものではありません。

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